独り言

最後にこのブログを開いたときからもう半年が過ぎました。

 

みさみさが卒業したの思い出してしまったよ…泣いてしまう。ええ、まだ別に立ち直ってはないです。思い出さないようにしてるだけなんで。

 

 

半年もの時間が流れるといろんなことを考えたわけで、いつかブログでもなんでも言語化して書かなくてはいけないと思い、ふとこれを開いたわけです。

 

 

自分で言うのもどうかと思いますが、とても精力的に演劇活動をしており、短編の脚本を4本、そこそこの長さのを1本書いたんです。半年で。凄いでしょ。

 

まあ自慢するだけして恥ずかしいので見せないんですけど。

 

 

 

いや、恥ずかしい、というのが1番の理由ではないんです。

 

 

 

やっぱり、まだ自分の書いたものにどこか納得をしていないということがあって。まあ世に出すものとして胸を張っていないのはそれはそれで問題ですけども。

 

 

僕が今書いているものってきっと僕の目標とする人のものと比べたら塵なんです。塵なんて、積もれば山になると思ったら大間違いで、そりゃ物理的にはそうかもしれませんが、多くのこと、特に努力に関係するものは山になる前に吹き飛んでしまうことが多々です。

 

 

語彙力だったり、人生経験だったり、同じことを体験しても吸収できるものの違いだったり。日々の生き方が脚本には表れます。僕はその全てにおいて劣ってる。いや、ほんとに。そんな人間がいくら書いたってそれは塵のままなんです。

 

 

ああ、別に泣き言吐くためにこれを開いたわけじゃないです。

 

 

僕は足りないものを自覚しながら常に書いてます。きっとここはもっといい表現があるはずだ、そう思いながらも僕はそれに解を示すことは出来ず、とりあえず書き進めようと書いていました。

 

 

出来たのはさほど面白くのないもの。ただ漠然と「違う」という想いだけが残りました。

 

 

僕が書きたいのはこういうものじゃない。書く度にそれに囚われ、パソコンを地面に叩きつけてしまいたい、そんな気持ちに襲われました。まあでも13万もしたんで、絶対しないんですけど。あーでもこれが2千円くらいなら…物に当たるのは良くない良くない。

 

 

 

結局僕が産みだした塵は塵のままで役目を終えるのでしょうが、僕は書きます。なんだかんだ書いてる間は楽しいですから。まあパソコン開くまでが物凄く長いんですけどね。ほんと1ヶ月とか、そんくらいかかります。Windowsはよく更新するから。

 

 

僕の書いた塵が誰か他人の手によって僕以外の新たな解釈を手に入れたのなら、それは塵だけではなく1つの作品として成立していて(いや、そう信じたいだけなんですけど)、それだけで十分ありがたいのにそれを演じる人がいて、きちんと劇として提示できる、塵にとってそれ以上の幸せって存在しないですよね。

 

 

なんか「塵」が僕の書いた脚本のタイトルみたいな錯覚をした。

 

 

さて、劇とする前にまた問題がありますね。そう、演出です。僕はそもそも演出の人間ではないので、演出の真似事をするのはとても醜いことであると自覚しながら演出もどきをしています。いや、ほんとに無理だって。

 

 

さっき述べたとおり塵は他者の解釈を手に入れることで作品へと進化を遂げるわけで、それが劇となる場合は、演出は勿論、演者達にそれぞれ解釈が存在してて、それが必ずしも一致してるとは限らない。しかし、そのときほど演出する人間は試されている、と僕は考えてて。突飛な解釈でない限り、見に来ていただいたお客様の中にも同様にそういうことを考える方がいらっしゃると言えるのではないか。果たして自分が従来持っていた解釈と他人から提示された解釈のどちらがよりその台本で伝えたいことに深みを与えてくれるのか、演出とは常にそれを念頭においていなければならないと思うんです。別に自分の解釈が100%真理とは限らない。そうすることはより多くのお客様を楽しませることに対する努力の1つだと考えてます。

 

 

現代文に出題された問題をその文章の作者が解いたら満点取れない、ということを稀に耳にしますが、解釈は人によって違うということを表わす良い例でしょう。

 

 

これだけ偉そうに語っておきながら自分は全く達成できている気はしません。まあそもそも僕は演出に向く人間ではないですし。

 

 

正直な話、僕は自分を表現するのはあまり得意ではないんです。どちらかという他人の表現を見てる聞いてる人間です。そんな人間が演劇やってる、ちょっと不思議。ただやってる以上は面白いものを作りたいってだけです。

 

 

解釈違いでもうひとつ。

 

劇は間違いなく他人の前でやることで完成されます。でも、他人の前で出来なかったからってそれがなんの糧にもならないってのは少し寂しい。糧になるって信じたいってだけでもあるんですけど。

 

 

今、部員の前ででも披露できれば万々歳だっていう程度に自主練としてやっていたものがあって。1年間ぶりに役者をやったときに、自分は他人にはこうした方がいいという言葉を出せているのに、それは自分に対してもあるのに、でもいざそれを体現出来ない自分にショックを覚えたんです。高校の僕を見ていた方にはまあまあ進歩したって思うかもですけど。だから冬や春にやる公演では役者をやれるかはわからないですけど、もしやるとなったら今のままやるのではなく少しでもレベルを上げる努力はしておきたいって思って、自主練ということで1本台本を練習してます。

 

 

 

そしてそれはきっとこれからの僕達、そして次の代に何かしら残せてればという想いでやっていて。

 

 

ちゃんと今度の公演には迷惑かけない形でやってたんですけどね。

 

 

どうも僕の考えは裏目に出てしまうようです。

 

 

まあ好かれてないってのもあるでしょうけど。

 

 

なんだかんだ最後までやるかなとか思ってはいたんですけど、やっぱりダメみたいです。

 

 

お疲れ様。